100%を目指さなくてもいいや。頑張るのも色々大変なのよ。

不真面目なのかもしれませんが、赤点にギリギリならない程度でいいと思うタイプです。この考え方になったのは最近のことです。

 

≪くらべても、意味がないことは多々ある≫

昔の私は、他人とくらべて優秀でなければならないのだと思っていました。

本当の自分ではない自分の仮面をつけてヒーローのように立ち回る私を煙たがる人もいました。最近、それに意味があるのかと疑問に思いました。

自分の100と、他人の100%は違うような気がしたのです。自分の100%が、ある人の400%だったり、70%だったりしそうだと思いました。だから、100%出して頑張ったのに評価されなかったり、やりすぎだと思われたりするのだろうと思ったのです。

周囲の評価を気にする私には、どちらの結果も辛いです。

100%は100%で評価してほしい。頑張ったと思ってほしい。基準の違いを理由に、私の100%の頑張りが評価されないのでは、頑張れない。

そこで、気づいたのです。「くらべても、意味がなさそう」だと。

 

もう、100%を超えて頑張っている自分。だって、他人とくらべているから、100%のままではいられない。辛い、辛すぎます。

やりたいことも、やりたくないことも頑張っているのに、辛い。だったら、平均点とは言わず、赤点ギリギリでいつも生きていければ良いのでは……。

 

≪とはいえ、社会の歯車の一部らしい。ただ、環境は変化する≫

動いている人も、動けない人も、動きたい人も社会の歯車らしいです。

例えば、人間関係。嫌われたり、見下されたり、空気のように扱われたり……。

辛すぎる。

ただ、一緒に頑張る仲間になりたいだけなのに……。

周囲のひとは、何を考えて、何が理由でそんな扱いをするのだろう。もしかしたら、その人の心情や立場などが影響して、自分への視線に繋がっているのかもしれない。

ならば、私が赤点ギリギリにしようと考えを変えたように、周囲の人も変わっていくのではないか。環境は変化していくのではないか。

そう思いました。

 

≪きれいごとばかり並べたように見えるけれど≫

今まで書いたことは、究極のネガティブから抜け出すために考えたことです。

思考の中なら無茶苦茶でもいいじゃない。ポジティブになるなら。そう思っているのです。

自分が良く変化していければいいと、そう思っているのです。

私の様々を吐露しました。全力で書きました。

あなたが少しでも楽になる何かが、この文章にあれば嬉しいです。

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