「産めない人生」を思いっきり楽しもうか

「あなたが子どもを産むのは難しい。」
初めてそう告げられた時、私は18歳だった。産めない理由は、私が先天性心疾患だから。妊娠しても流産してしまうだろうし、順調に育ったとしても無事に出産できるか分からないと言われた。でも、当時の自分には結婚や家族は遠いものだったから、そんな事実を教えられても「ああ、そうなんだ」くらいの感想しかなかった。

「妻」という肩書きが苦しい

医師から告げられた言葉を、後に旦那となった彼氏に伝えた時は「そうなんだ」で終わった。3個上の彼もまた、結婚や家族とはまだほど遠くて、私たちは「産めないという事実」を共有した。これでいい。そう思っていた。でも本当はそれじゃ、だめだった。

結婚して、「妻」という肩書きを得たら、一気に社会が変わった。
―子どもはいるの?
―いえ、いないんです
―だったら、早く作らないとね。

パート先で何度もそのやりとりをするうちに、「子どもが産めない」という事実がチクチクするようになった。

産めないことを正直に話そうか…。そう思ったけれど、場が暗くなるのが嫌だったのと、障害のせいで産めないという事実を言うのが難しかった。

日本はまだまだ障害者雇用が不十分だから正社員でない限り、私は障害者であることを伏せて働いていた。バイトやパートの面接時、障害者であることを伝えると雇ってもらえないことばかりだったから。障害を企業に打ち明けるかどうかは、「障害者として働く」のか「私として働く」のかという問題でもあると思う。

私は「障害者」というレッテルを張られながら働くことが嫌だった。好奇の目やいらない同情を感じずに「ただの私」
として周囲と関わりたかったし、家計を支えるために採用されたかったから障害を隠した。

だから、産めない理由が伝えられなかった。不妊だと言ってみたこともあったけれど、「治療は受けているの?」「どこのクリニックに行ってるの?」「旦那さんはどう思っているの?」という相手の好奇心に胸がざわついた。

どうでもいいだろ、そんなの。私の人生を、好奇心を満たすおかずにしないでほしい。何度、この言葉を飲み込んで、笑顔を作っただろう。

子どもにまつわる会話が苦しい。だから、「子ども嫌いな私」を演じるようになった。
―子どもはいるの?
―私、子どもあまり好きじゃないから欲しくないんですよね
―自分の子になると違うよ。産んでみたらわかるから

「産んでみたら、分かる」は産めない自分にとってナイフだった。

夫に「家族」を作ってあげられない罪悪感

そして、結婚してから私の心に芽生えたのが、夫に家族を作ってあげられない罪悪感だった。夫の実家に行った時、甥っ子や姪っ子と無邪気に遊ぶ彼を見ると、この人はきっといいお父さんになれる人なんだろうなと思うたび、余計に「家族」という形を作ってあげられない自分に負い目を感じた。

でも、子どものことをお互いに真剣に話すことができなかった。それはあの日、若かった自分たちが「そうなんだ」で終わらせた話題だったから。

本当は聞きたかった。「実際に結婚してみて、子どもいないのどう思う?」って。でも、怖かった。もしも、「ほしい」と言われても叶えてあげることが一生できないから。そして、もし「この生活もいいよ」と言われても、本当にそうなのかなと疑ってしまう自分がいるって分かってたから。「産めない事実の共有」の先に、私たちは踏み込めなかった。

夫婦二人だけでも、家族。それはそうだ。でも、やっぱりまだ社会一般的には子どもがいてこその「家族」というイメージが強いような気がした。「親子=家族」の方程式がメジャーだと思えた。だから、世間一般が思い描く「家族」が手に入らないことで、自分がますます嫌いになった。

「産めない人生」を思いっきり楽しみたい

その後、夫と別れてバツイチになった。そしたら、周囲から向けられる言葉が変わり、驚いた。
―バツイチなんです
―え、子どもはいるの?
―いいえ、子どもはいないです
―なら、まだよかったね。

この会話が繰り返されるたびに思った。私の状況によって相手の中で「子ども」への定義も変わることって、なんか変だなと。「妻」である私には「早く作った方が…」と勧めたくせに、「未婚」となった途端に「いなくてよかったね」と、真逆の言葉をかけられる不思議。こんな曖昧で不確かな価値観に振り回され、悩んでいたのかと思えた。

そもそも、私自身は子どもが欲しいのだろうか。子どもがいれば、幸せになれるとか、「普通の家庭」を築けるという想いがあったのではないか。もしかしたら、私は周囲の不確かな価値観に触れる中で「子どもを産めないこと」そのものよりも、周囲からの声や反応に傷ついていたのかもしれない。

そう気づいた時初めて、自分の中で「子ども」という存在に一区切りが打てたような気がした。

産めないことは、どうしようもない。その事実にぶち当たると辛くて、まるで自分が欠陥品であるかのように思えてしまうこともあるだろう。でも、産めても産めなくても私たちは「家族」として繋がっていける。たとえ、「子ども」という存在がいなくても、共通の趣味があったり楽しみを共有できたりするのなら、それは鎹だ。

鎹は子ども頼りではなく、自分たちで生み出すべきものであるし、生み出せるもの。だから、自分が掴める幸せを、たくさんたくさん掴んで噛みしめていけばいい。それがたとえ、いわゆる「普通」や世間一般の「理想」とは違っていたとしても。今の自分が「なんとなく幸せ」なら、それが一番いい。

過去の自分が欲しかった「理想像」と、現状が違うことはきっとたくさんある。掴めないものも、想像していなかった悲しい現実にぶち当たることもいっぱいある。でも、理想とは違った今の中で、また自分が掴めそうな理想を、貪欲に楽しく考えていけばいいのではないだろうか。そのほうが、きっと人生は楽しいと思うし、そう信じたいから、私はそうでありたい。

いきなりすべての世界が明るくなるなんて、絶対嘘だ。グレーの中でもがき続けないといけない日もある。けれど、そのグレーの世界の中でも、ささやかな幸せを少しずつ思いっきり噛みしめていきたい。「人生とは」「家族とは」という大それた幸せではなく、「今日食べたケーキがおいしかった」「愛猫が今日もかわいい」という小さな幸せを感じながら産めない人生を、どう楽しみ続けるかを考え続けていきたい。

1 COMMENT

ちかこ

「命のバトン」を引き継いでいないので、生きた証があやふやなのだろうか?孤独感でぶっ壊れそうになるのだろうか?
私も、グレーの世界で明るい色を探しています。

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