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「嫌い」という鋭い言葉、変えてみませんか?

友達という存在の難しさを考えることがよくあります。友達という存在に関して、過去と現在の実体験、少しだけ未来に繋がる私の考え方について書いていこうと思います。

 

≪小学校低学年に起きたこと≫

小学校低学年のある日のお昼休み。私は教室でひとり折り紙を折っていました。そこに同学年の男子が近寄ってきて言いました。

「お前の友達を全員教えろよ」

私は深く考えることをしなかったのだと思います。彼らに一人の友達の名前を伝えました。そうしたら彼らは見下すように言うのです。

「あとは?それだけしかいないの?」

そう言われて一人、そう言われてまた一人……。彼らが問い飽きたのは、私が数人の名前を伝えた時でした。彼らは私の友達の名前を書いたメモを持って散り散りに教室から出て行きました。

 

しばらくして彼らは私のもとに戻ってきました。

「ほら見ろよ」

先程のメモには、友達の名前とバツ印が並べて書かれていました。

「バツのヤツ、お前のこと友達じゃないって言ってたぞ。キッモ。友達いないとか」

 

私が友達だと思っていた存在は、全員友達ではなかったそうです。

 

≪裏切られたと思っている私≫

もうお分かりの通りイジメられていました。今回は友達についてお話をしたいので、詳細は控えようと思います。

 

小学生のときの件の友達は、本当に友達ではなかったのでしょうか。男子達がこわかったのでしょうか。そもそも、男子達は友達に訊きにすら行っていなかったのでしょうか。今となっては分かりません。ですが、この体験で初めて大きな裏切りを感じたのです。

 

友達だと思っていたのに裏切られた。友達のフリをしていただけなんだ。もしかしたら、勘違いしていた私を馬鹿にしていたのかもしれない。

 

そう思っている私を、私は好きになれません。

 

≪許可制・認証制≫

私はそばにいる存在が友達なのか、そうではないのか分からなくなりました。

 

そこで、許可制と認証制をとるようになりました。ずっと仲のいいひとに訊くのです。

「私と友達になってくれませんか?」「私と〇〇って友達ですか?」

そして大抵は

「え?前から友達でしょ?」

と返ってきます。

 

意味が分からないという顔をされても必ず一度質問するのは、友達のような存在が、本当に友達なのか証明したいからです。

 

そうしないと、こわいのです。これ以外の友達の作り方が分かりません。なので、現在も一度質問します。

 

≪私が友人関係を通して思い、考え、気付いたこと≫

私の友達は、会話の中で積極的に意見を持った発言をしてくれます。それと同じように私も自分の意見を持ち、発します。

 

そうしていると気付くことがあります。それは、「私の思っているAと、あなたの思っているAは違う」ということです。

 

同じ意見を持っていたはずなのに、私と友達とでは微妙に形や切り口が異なることが多々あります。

 

その些細な違いが、仲を深め、時に諍いを起こす原因になるのではないかと考えました。

 

友達との関係を通して、もっと広い人間関係にもこれは当てはまりそうだと思いました。

 

≪「嫌い」を「好きではない」にする努力≫

「嫌いという感情を人に抱いたときに、あまりにも得がない」と、いつからか思うようになりました。とは言っても、私には誰しもを好きになるということは難しいのです。

そこで、「嫌い」を「好きではない」と言い換える努力をしようと思いました。

なんとなく「完全な否定ではないように思える」からです。こうすると、自分のことも「嫌い」ではなくて「ある面では、好きではない(ある面では、長所もあるかもしれない)」となるわけです。

「嫌い」という鋭い言葉は誰しもを傷つけるように思えます。その被害が少しでも減るのなら努力するのもいいと考えるようになりました。

 

≪現在の自分≫

今でもイジメのことや、「友達という存在」について考えると、胸のあたりがゾワッとしたり、他にも弊害があって生きづらいです。ですが、友達との関係性で気付いたことを何かお伝えできればと思いました。

「嫌い」⇒「好きではない」を実践してみてはいかがでしょうか。見え方が変わってくるかもしれませんよ。

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