健常者であれば、こんな悩みなんて抱えずに済んだのに―。
恋をすると、いつもそう思う。一番怖いのは、持病を告白する時。どう思われるだろうか。変わらずにあの人は笑顔を向けてくれるだろうか。引かないだろうか。重荷だと思われないだろうか。…そんな考えが、ずっとめぐる。
友達に障害を言えるようになるまで
私にとって、周囲に伝えることはとても怖いことだったから、できるだけ周りには隠してきた。母親も、私の障害は隠すべきものだと扱っていたように感じる。
「普通」として扱ってくれる人の眼差しが尊かったから、新しく出会った友達やバイト先では健常者としてふるまった。バレませんようにって思いながら。
けれど、ある日、ふと思った。偽物の私で人と付き合っているような感覚がする、と。手術の傷跡が見られたくなくて、岩盤浴の誘いを「生理だから」と断った後、その友達が、自分の辛かった体験を私だけに話してくれ、そう感じた。相手は本気でさらけ出してくれるのに、私は逃げているような気がした。
だから、勇気を出して、1級の障害者手帳を持つ障害者であることを告げた。その時の友達の反応は予想外。最初、驚きはしたものの、私に対する態度は何も変わらなかった。話してくれて嬉しかったと言ってくれ、私が絶望し、産まれたことを後悔した時には「それでも、親は生まれて来てくれてありがとうって思ったと思うよ。私、自分が子持ちだから分かる」と優しく言ってくれた。
それから私は自分のことを隠さず、さらけ出そうと思えるようになった気がする。
思い返せば、元旦那に障害を告げた時も優しかった。「そうなんだ」の一言で包み込んでくれ、障害者手帳を映画館などで出せなかった私に「もっと使っていけばいいと思う」と前向きな言葉をくれた。それを聞いて、私はこの人と結婚したいと思った。自分がさらけ出せないものを、さらけ出してもいいと言ってくれたことが嬉しかったから。
そんな人たちの優しさに包まれて、私は新しく知り合った友達には、障害者であることが泣かずに言えるようになった。でも、恋人となる人だけは別だ。好かれたい、嫌われなくないと強く思うから、言うことをためらってしまう。
誰かの「言葉」で自分を受け止められるようになった
今の彼氏に伝える時も、正直とても怖かった。「こんなにも気が合う人とはもう出会えない」と言ってくれた人だったからこそ、幻滅させるのが怖かった。でも、付き合って1ヶ月の時、旅行先で一緒に過ごしながら、傷跡がバレないか気にしている自分に気づき「そろそろ言わなければ…」と思った。
「私、実はね、先天性心疾患でね。もしかしたら、長く生きられないかもしれない。」そう切り出す時は、いつも泣きそうになる。自分が健常者であれないことが悲しくて。相手の重荷になりたくないから。
泣きながら話す私を見て、彼は言った。「もし、告白する前にそれを聞いていたとしても気持ちは変わらなかった。病気であることではなく、ずっと一緒にいられないかもしれないことがショックだ」と。
一呼吸置いた後、彼は言った。「こういう言い方はもしかしたら失礼になるかもしれんけど、どんな人でもいつ亡くなるか分からないから、諭香がいつまで生きれるかわからんのは、特別なことではないなと思った」と。
学生の頃に母親をガンで亡くした彼の解釈は、私に新しい価値観を与えるものだった。たしかに、命の期限なんて誰にも分らないよな。そう気づいたら、自分が一番、自身のことを特別視してたんじゃないかと恥ずかしくなった。そして、初めて誰かに告げた時に「特別ではない」と言ってもらえたことが嬉しかった。
それでも消えなかったのが、重荷になるくらいなら、ひとりで生きていった方がいいかもしれないという迷い。そんな情けない弱音に彼は「そうやって思うのはしんどいじゃん。僕は母親の看病で病院通いは慣れとるで大丈夫。だから、先のことは置いといて、今を楽しもう」という言葉をくれた。ただひたすらに嬉しかった。
新しく出会った人に障害者であると告げる時は、まだ怖い。でも、勇気を出してみると、みんな案外温かく受け止めてくれて、必要以上の手助けをせず普通に接し続けてくれる。そんな周囲からの優しさを受ける中で、私は「障害者である自分」を徐々に受け入れられるようになってきた気がする。
だから私はこれからも、怖くても自分の病気をちゃんと伝え続けていきたい。胸の傷もちゃんと見せ続けながら生きていきたい。これが私だから。そう言い切れる日まで。
自分の障害が個性なんて全然思えないし、障害はたしかにハンデであるとも思う。癒えない傷はたくさんあるし、偏見の目を向けられることだってある。でも、普通になれなくても不器用でも、それでも私で恋愛を、人生を楽しんでいきたい。
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