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生活保護、DV、いじめ……苦難を乗り越えた先で見つけた「弱者の勝ち方」

はじめまして。福岡県でフリーランスのWebライター、ディレクターとして活動している、小野澤 優大と申します。cotonohaを運営しているチームランスBreak Roomの代表と、福岡県でシェアハウスを運営する株式会社天晴れにて取締役を務めています。1997年生まれで、現在は23歳です。

この記事では、僕のたどった半生を振り返りながら、「社会的弱者」が今の時代を生き抜き、幸福を手に入れるための方法について一緒に考えていきましょう。

なんでもない家庭が地獄の虐待家族に変わってしまったワケ

僕は、DV家庭に産まれました。

DVと無縁の方にとっては「かわいそう」という感想で終わってしまうかもしれませんが、DVは遠い世界の出来事ではありません。ましてや、昭和の頑固親父が主犯というわけでもありません。今でもDVは決して珍しい話ではないのです。例えば、2018年度だけで16万件もの「児童虐待」件数が確認されています。

僕が生まれたのは今から23年前。父母共に40歳を超えていて、母は「高齢出産は怖いから産みたくない」と申し出たそうです。しかし、自分の子供が欲しい父は「どうしても」と食い下がり、母は出産を決意したといいます。

父がこれほどまでに自分の子供を欲しがったのにはある背景がありました。僕には兄が一人います。兄の父親は僕の父親とは別の人間、つまり種違いの兄弟です。母が34歳のときに、前夫との間に生まれた子供。それが僕の兄でした。その後、前夫と離婚して兄を引き取った僕の母親は、僕の父と結婚します。連れ子である兄を、父は可愛がっていました。

しかし、僕がお腹にいると分かった頃から、地獄のようなDVの日々が始まったのだと、酔った母から聞かされました。僕はそのせいで、何度も生まれてきたことを後悔するのですが、それはまた別の機会に。

いまもこびりつく「大人の男」への恐怖はここから始まった

僕が生まれる前に、父は兄を殺そうとしていたと聞きます。明確な殺意はなかったかもしれませんが、怒って頭に血が上り、残虐なオスの姿に変わっていたことは想像に難くありません。母は僕の出産のために入院し、家には兄と父の二人しかいませんでした。ストッパーがなくなったかのように、兄は水風呂に入れられたり、暴力を振るわれたりする日々に晒され始めます。

ある日、気丈に振る舞っていた兄から病院へ電話がかかってきました。「どうしたの?」と電話に出た母に、兄は涙ながらに今の状況を訴えかけました。想像を超える状況に唖然とした母は、僕の出産を終えるとすぐに帰宅し、兄を守ろうとしたそうです。

僕が生まれ、状況は改善されたかと思いきや、現実はそう甘くありませんでした。父親は実の息子である僕には直接手を挙げませんでした。何をしても。その代わり、大好きだった母親や兄に対して目の前で暴力を奮ったり、聞くに堪えない言葉を浴びせかけたりするようになりました。幼い僕はそれを止めることができませんでした。ただ恐ろしく、自分に敵意が向いていないことに安心すら覚えていたのです。

その頃から、僕は他人の顔色を読む癖を身に着けていたのでしょう。

父親が帰ってくるまでは母親と一緒にアニメを見たり、絵を描いたりしていたのに、車の音が聞こえた途端にそれらをすべて片付けて勉強を始めていました。帰ってくる父に「おかえりなさい!」と挨拶をして、勉強していることを褒められて、機嫌よくしている父を見て、安心する…。それが、3歳の僕にできる唯一の「生き残る術」だったのです。

従順だった僕が初めて「失敗」をした夜

一度だけ、本当にただの一度だけ、僕は父親に直接的な暴力を受けたことがありました。

ある夜、眠っていた時に、隣の部屋から喧嘩の声が聞こえてきたので、こっそりふすまを開けて隣の部屋を覗いてみたのです。

そこには、父親が母親の首を絞めて殺そうとしている姿がありました。

それを見た僕は、涙が出て、声は出なくて、そのままじっと眺めていました。どれくらい経ったでしょう。突然、「もう終わり」というように父はトイレへ行き、手を離されて咳き込む母が、ゆっくりとこちらの部屋へ歩いてくるのが見えました。こんな時間に起きているのは「良い子ではない」し、父は「暴力を奮っているところを見られたくない」と思っていることが分かっていたので、僕は慌てて寝たふりをしました。

僕の隣で横になった母親は僕の狸寝入りを見抜いて、何も言わずに体をぽんぽんと叩いてくれました。とても安心するのに、心細くて、もういっそあなたも父も僕のことを嫌って、殺してくれたら楽なのに、と思いました。僕をかばって苦しむ母を見たくない。何もできず機嫌を取ることしかできない自分が嫌いだ。そう思いながらも、身体は硬直していました。

トイレから戻った父親はひどく酔っぱらっていて、ふすまを乱暴に開けると、こちらに大きな怒声を浴びせました。僕は心から恐怖していたのでしょう。「父を恐れている」ことが悟られれば、父は気を害すはずだ。そう気づいていた僕は、何があってもおとなしく、気配を消して、気づかないふりをしていたのに。その日に限って、びっくりして体を跳ねさせてしまったのです。

薄っすらと目を開けると、てっきり僕が寝ていると思っていた父親は、普段は僕に見せたことのない暗い表情で僕を見下ろしていました。親が子に向ける表情ではありませんでした。心臓が跳ね、汗が出て、目をギュッとつぶり、見ないようにとうずくまります。

父はなにか叫びながら、ふすまを強く蹴り飛ばして僕の方へ倒しました。ごつん、と身体にあたったふすまが、瓦礫のように僕に覆いかぶさります。恐る恐る目を開けると、父は心から悲しそうな顔をして、僕に言ったのです。

「ごめんな、まーくん。父さんはね、こういう人間なんだよ」

今思えば、父は僕の拙い演技なんてとっくに見抜いていたのでしょう。それでも、恐れを隠して「理想の子供」として振る舞う僕に対して、父は期待していたのかもしれません。醜い自分も、子供らしく振る舞う僕と触れ合っているときだけは「父親」として呼吸していられる。そう思っていたのでしょう。そして、恐らく僕も、心のどこかで父性を求めていたのかもしれません。純粋で何も知らない子供のふりをしていれば、圧倒的な父の強さがすべてのモノから僕を守ってくれる。その小さな虚構の王国の安心感を得たくて、頑張って演技をしていたのかもしれません。

父から怒り以外の感情を感じたのはその瞬間だけでした。その言葉と表情は今も忘れられません。

僕らが「人生」を始めるために必要な、たった一つの前準備

山奥の小屋みたいな小さな木造の家で、僕は5歳まで、母は45歳まで地獄と向き合いました。きっと僕の感じた地獄と、母が感じた地獄は色合いや温度が異なるでしょう。もちろん、あなたの地獄と、僕の地獄も。けれど、その差異には何の意味もありません。

人間は……いや、特に「社会的弱者」や、ぬくもりが不足している僕たちは、こういう話を不幸自慢としてひけらかしがちです。なぜならそれは、「奪われた」僕らが唯一初めから手にしている強固なアイデンティティであり、強力な武器の一つだからです。

簡単に同情を集めたり、好印象を持ってもらったり、実績以上の評価を得たり、失敗の言い訳にしたりと汎用性が非常に高く、正直、使いみちを覚えたら二度と手放せなくなります。僕はこれを使って多くの他者を利用して、自分と向き合うことから逃げて、自信のなさを補ってきました。

しかし、いつまで経っても満たされることはありませんでした。他者は自分に都合よく動く道具に過ぎず、甘っちょろい環境下で生きる人間を見下して生きてきました。だから、誰とも繋がれなかったのです。自分のプライドが、アイデンティティが、自分を幸せにすることを許さないのです。

だからこそ、僕たちのようにマイナスからスタートした人間は、「自分の地獄を自分で理解して、他者と共有できる」ことが非常に重要です。「こんな思いをして苦しかったんだ!」「こんな環境にいる私はかわいそうなんだ!」という感覚はアダルトチルドレンにはよくあるものですが、せっかくここまで来たんです、もう一歩だけ踏み出して、身体いっぱいに光を浴びてみませんか。

なんて、偉そうに書ける身分ではありません。

僕は「自分には不幸がよく似合っている」と思っていたし、なんなら「不幸な自分だからこそ、他人の不幸を溶かしてあげられる」と考えていました。

けれど、いざ「私は不幸だ」とのたまう人と出会った時には、そそくさと自分の不幸を振りかざしてマウントを取ることもありました。

どこまでも中途半端で、優しくも強くもなりきれない人間でした。

だからこそ、このメディア「cotonoha」にはとても共感しているし、チームランス「Break Room」は世界を変えるチームだと思っています。僕一人では何もできないけれど、みんながいれば。あなたがいれば、きっと。

くさいセリフですが、弱さや不幸を知っているからこそ、強くも優しくもなれるのだと思います。

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