死にたがりだった僕の意見

僕は、「死にたがり」だった。

いくつもの障害を抱える中で、僕は周りの人たちが羨ましかった。
何も悩みがなさそうで、僕の生きづらさよりは、よっぽど楽なのだろうと。
学校の同級生たちに対して、いつも劣等感を持っていた。

自分を悲劇の主人公になぞらえ、自身の不幸を見出した。
中学1年生辺りから自傷行為を始めた。身体全身に切り傷を付けた。
心療内科で出された薬でオーバードーズ(OD)をした。

社会から追い出されたような感覚で生きていた。
自分が生きていることが、絶望になっていた。
ぬるま湯に浸かった世界が、どす黒い泥沼に見えていた。

だけど多分、世界はそんなに悪くはない。

口を開けば「死にたい」と喚いていた僕は、何とか大人になってしまった。
新しい切り傷はなくなりつつあって、心療内科で出された薬は用法用量で飲んでいる。

自分を中心に世界を回し、絶望していた世界から、僕は一歩踏み出した。

世の中には色んな人がいた。根治できない病に苦しむ人や、波乱万丈な生き方をする人。
どす黒い泥沼だった世界に浸って、ずっと「死にたがり」をしていた僕にとって、衝撃的だった。
誰かと比べるわけではない。人にはそれぞれの人生があって、基準はない。

だけど多分、世界はそんなに上手くはない。

時には辛いことを経験し、時には苦しいことを経験する。
時には楽しいことを経験し、時には嬉しいことを経験する。
思っているより世界は暗くて、思っているより世界は明るい。
思っているより世界は苦くて、思っているより世界は甘い。

人が生きることに正解はない。人がどんな生き方をしたって構わない。

「死にたい」と言うことも受け止めよう。「生きたい」と言うことも受け止めよう。
かつての僕が「死にたがり」だったとしても、今の僕が「生きたがり」だったとしても。
どんな僕であったとしても、それは僕であり、僕がいるのだから。

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