こんにちは。cotonohaです。
今回は、きょうだい児という立場で生きる小松その美さんから相談が届きました。
ご自身の目線から見た妹さんや善良な人々への向き合い方についての質問へお答えしていきたいと思います。
初めて書き込みをさせて頂きます。 始めにこれから書かせて頂く内容は、人を傷付けてしまう恐れのある内容であることをお許しください。
私には自閉症を持つ妹がいます。その為私自身は「きょうだい児」と呼ばれる立場にあります。
私自身は何も不自由はしておりません。ただただ障害者である妹とそしてそれを取り巻く第三者に振り回されて生きて来ました。 小学生の頃の妹はパニックを起こし安い部分があり、騒ぎたてる妹が恥ずかしくて堪らなかったのを覚えています。 しかし周囲からは「仕方ない」「妹の方が大変だから我慢しろ」と言いくるめられていました。 当の本人はそんなことはお構い無しであったと思います。
また両親2人は間違っても毒親ではなく、妹を最終的に自立させ自分達が亡くなってからも生きていけるようにすることを目標に働きかけていたと思います。 その為、両親よりも第三者の意見が何よりも辛いです。
障害者は社会的弱者と呼ばれていますが、健常者である私は弱者ではありません。結果的に親よりも周囲から妹へのサポート等をするように仕向けられていました。 当時は当たり前でしたが成人し年月が経った今になって色々と思い出し辛くなってしまっています。
知的障害者に対する不満を口に出せば「障害者差別」だと言われかねない現状があり、今でも口に出すことは出来ないでいます。 中学以降は妹と共にいる時間が減ったのですが、「妹」と「第三者」に振り回されていた小学生時代のことがあり妹が自閉症を抱えていることを周囲に話すことは出来ませんでした。今でも聞かれない限りは自分からは話さないです。
「差別はいけない」「困ってる人は助けなければならない」これが正しいことであることは分かってはいますが、振り回されて自分を蔑ろにされてきた以上それを振りかざす「善良な人々」を信じることができません。 また公共施設の「助け合い」がテーマのポスターを見るのも辛いです。 また誰がその正義を振りかざす「善良な人」かわからない為、誰に対しても深入りせずに軽い人間関係を築いています。正義を振りかざされて来た結果、人に対しての興味関心がなくなり、自分も話せないことが沢山あるため人に深く関わりたいという欲求が全くなくなっています。
その場その場での軽い人間関係が心地よいこともあるのですが、ある時趣味で知り合った方から告白され自分に興味を持たれ深入りされることが怖かったです。話せることはポツポツ話したのですがそれでも深いところまでは話していません。また彼の周囲にいる人達が自分が「きょうだい児」であることを知ったらどう思うのかも不安ではあります。
更に今後結婚をしたとしても子供を産みたくないと思っており、その理由が「『障害者』を産みたくない」という差別的はものである為こればっかりは両親にもだれにも話せていません。
長くなりましたが差別感情を抱えていることを自覚している私に「妹」や「善良な人々」との向き合い方に何かご意見を頂ければ嬉しいです。
A.あくまでも「他人なのだ」
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