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「死にたい」あなたに、「もう少しだけ、生きてみて欲しい」と願いたい

僕の家庭は、少し歪(いびつ)だった。

幼少期の僕は、両親と父方の祖父母と住んでいた。「機能不全家庭」とまではいかないものの、家庭の中は混沌としていて、家庭の中はいつもピリピリしていた。兄弟がいなかった僕は、ただ1人でその空気に耐えていた。

両親が離婚したのは、僕が小学2年生の時だった。

ふと「死にたい」と思ったことを、今でも覚えている。インターホン越しで喧嘩をする父親と母親の声を聞きながら、台所の包丁を手にしそうになった。僕の親権争いをしていることを知っていて、「僕がいなくなれば」という考えに至ることは、いとも容易いことだった。

そうして、物心がついた時から希死念慮と隣り合わせだった僕は、「死にたい」を抱えることが人生の全てだった。自殺未遂を繰り返した。それでも尚、僕は死ぬことが出来なかった。

結局のところ、死ぬことが怖かったのだ。

死ぬことが出来ない自分に苛立ち、その怒りさえも常に僕の頭を埋め尽くしていた。

インターネットの海を彷徨っていた時のことだった。

「死にたい」が心の大半を埋め尽くす人生は、他の人間にとってかなり特殊だということを学んだ。

周りの人々は、何だか楽しそうに生きている。僕はといえば、朝が来ることが苦痛で、夜は眠ることが苦痛だった。過ぎていく時間に溺れそうになりながら、ついていくことに必死だった。

僕は学校が嫌いだった。

小学校も中学校も「行かなければならない」と何者かに洗脳されていたようだった。中学校に入り、学校自体が軍隊のように見え、通うことが恐ろしくなった。それでも、僕は学校に通い続けた。

「死にたい」僕にとって、学校に行くことは自分への罰だった。生きていても意味がない自分にとって、学校へ行くことが何よりも戒めであり、自分を苦しませることが全てだった。何もかもが敵に見え、毎日が真っ黒に塗りつぶされていた。

学校に通い続けた僕は「成績優秀」な「僕」を作り上げることに没頭した。

殺伐とした家庭の中で、家庭の和を繋げることが出来たのは「成績優秀」な「僕」だったからだ。僕は、何時間も勉強をし続けた。おかげで小学校の成績は良かった。それでも僕は、「死にたい」を抱えていた。

学校は「成績優秀」な「僕」を作り上げるための場所でしかなかったのだ。

中学校に入ると、僕のテストの点数は坂道を転がるように落ちていった。どれだけ勉強しても上がらない成績、同級生に追い抜かれていく順位。「成績優秀」が失われていく絶望感を味わい、自分の存在価値を見出せなくなっていた。

学校が「自分への罰」としてしか機能しなくなった僕の毎日は、地獄だった。

「死にたい」「消えたい」…。

ただそれだけが、僕の思いだった。何度も自殺を思い描き、何度も遺書を書き残した。

「死にたい」を抱えて塞ぎ込んでいた僕は、呼吸をすることさえも忘れ、膝を抱えて世の中の隅に潜んでいた。喚き、嘆き、叫び、そうして体力は失くなり、声を上げることすらも出来なくなっていた。

中学1年生の後半にさしかかった時、僕はカッターナイフで腕を傷つけ始めた。両腕が傷で埋め尽くされた頃、僕は自分の判断で心療内科の扉を叩いた。

当時、僕はネットワーフィンにはまっていた。

「死にたい」でヒットしたサイトに片っ端からアクセスして、ようやくたどり着いたのが(インターネットで調べたところ、引っかかったのが)「うつ病」だったからだ。診察後、僕はすぐに「うつ病」だと診断された。

投薬治療が始まってから数ヶ月後、僕は処方薬の多量摂取によって、救急外来に運ばれた。

僕は今でも覚えている。

何十錠も混ぜたヨーグルトを、一気に口へ流し込んだことを。

それは、中学2年生の野外活動を終えた日のことだった。「死にたい」までに嫌だった学校行事を終えて、ホッとしたのかもしれない。明確な理由はそこにはなかった。ただ、「死にたい」という漠然とした思いを行動に移しただけのように思う。

手元にあった大量の薬を摂取した、そこに大きな決断や迷いはなく、当然のように僕は自殺を図っていた。まるで普通にご飯を食べるかのように。

目が覚めたときには、病院だった。

僕はそのまま不登校になり、自宅で過ごす日々を送っていた。自分への戒めがなくなった分、楽になったかと思ったが、そんなことは一切なかった。むしろ「学校に通えていない自分」に対して罪悪感を覚えた。自分が生産性のない人間だと卑下した。

学校に通っていない分、勉強をすることだけが僕に出来ることだった。淡々と繰り返される日常の中、僕は底なし沼に沈んでいくように、ひたすらもがいていた。僕の世界はまるでグレースケールで包まれたように、暗雲が立ち込めていた。

今になって考えると、僕にとって学校は「自分への罰を科す場所」でしかなかった。

複雑な感情が入り乱れる中、僕は義務教育を終えた。もちろん、嬉しかったり楽しかったこともあった。それでも僕は学校が嫌いだった。

今でも僕は学校が嫌いだ。

家と学校しか居場所のなかったあの頃、僕はどうすることも出来ない「死にたい」を抱えながら、ただひたすらに生きていた。過去の僕が死ななかったからこそ、今の僕が生きているのだ。

「生きろ」とは言わない。
「逃げろ」とも言わない。
僕は、この文章を読んでいるあなたの人生を背負えるような人間ではないから。

「死にたい」世界は真っ暗だ。それでも、そこに今は光が見えないかもしれないが、何かの拍子に、立ち込める暗雲から一筋の光が差すこともある。

これは、僕のエゴだ。それでも、僕は言うことにする。「死にたい」を抱えるあなたへ。「もう少しだけ、生きてみてほしい」と。

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