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「いい子」、卒業してみませんか?

 

私は高校の時まで、いわゆる優等生のいい子でした。テストの成績は常に学年上位をキープしていましたし、クラスの誰とも仲良くするよう努めていました。しかしそれらは、能動的なものではなかったんです。

怖がりな私はいい子になるしかなかった

宿題をやらないと先生に叱られる。テストで間違えると母に叱られる。だから、叱られないように勉強していました。「叱られる」ということが、自分の存在意義を否定されたかのようで、異様に辛かったんです。

また、母はオタク趣味や男の子っぽいことが嫌いで、母が理解できないものは「くだらない」「気持ち悪い」と否定されたりしました。

母の事は好きです。好きだからこそ嫌われるのがすごく怖かったし、母の期待する「明るくて女の子らしい優等生」に応えたかったのです。

「勉学に励む」

「大人の言うことを素直に聞く」

これらは確かに若者として望ましい姿なのかもしれません。でもその行動原理が「叱られたくないから」「嫌われたくないから」「期待に応えたいから」といった理由なら、それはとても不健康なことなんじゃないかと思います

このような動機でいい子になってしまっている人や、生きている意味を感じられない人、何となく息苦しさを感じている人が身の回りに多いように感じました。 

私は大人になった今も、叱られるのが異様に怖いです。だから「叱られたくないから言うこと聞いていればいいや」という気持ちを今でも持ち合わせています。

でも、受動的な態度で生き続ければ、人生が自分のものではなくなってしまう気がするのです。

心からの喜びを感じることもなく、「叱られるよりマシ」なだけの後味の悪い人生になってしまう。大人になった私は、それが、怒られることよりも怖いのです。

思うに、「いい子」として振舞う人生は、険しい山道を慎重に歩くことと似ています。

空模様や地面のコンディションを注意深く伺ったり、触れれば崩れそうな岩を敏感に察知して避けたりと、気を抜かずに、張り詰めた精神状態で生きざるを得ません。

そして、「いい子」として歩んできた今までの人生に刻まれた記憶の多くは、自分で道を切り開いて手に入れたものというより、「こうするしかなかった」ものでできあがっています。それが登山との一番の違いかもしれません。

実はここで言う「いい子」の反対は、「わるい子」ではありません。「自由で素直な子」です。

何に対して自由で素直なのか、と言えば、もちろん「自分の感情や欲求」に対してです。

やりたいことは、好奇心の感度を高めて見つけよう

とはいえ、やりたいことは探してもすぐには見つかりません。「いい子」で居たことで埋もれていた「好奇心センサー」はすぐには働かないので、まずはセンサーの精度を高める必要があります。

ゲームや映画、アニメ、漫画など、どんなものでもいいんです。「ちょっと気になるな」「知ってたら楽しそうだな」と、自分の心がキュッと揺れるものに触れていくことで、好奇心センサーは本来の働きを取り戻していきます。 

いい子を卒業できたら、人生の始まり

私はやりたいことが分からないまま就職活動をした、迷える「いい子」でした。結局、新卒で入った会社はすぐに辞めてしまいました。

しかし、辞めたことで優等生のレールを外れたのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。「いい子」を少しずつ卒業していき、好奇心の赴くままに音楽を作ったり、アニメを観たり、遂には母に怒られることも覚悟で、一人で海外に行ったりしました。

その時はビビりながらもきちんと母を説得でき、一歩進めた気がしました。

そして転職活動の際には、「自分がどうしたい」という思いをきちんとまとめた上で転職先を見つけることが出来ました 

実は転職先が決まってから、新卒で入った大企業を辞めたこと、転職先が母の気に入る会社でなかったことなど、母にひどく罵倒されたんです。でも、あんなに叱られるのが怖かった私でも、母の言いなりにならずに自分の選択を信じることができました

もちろん叱られるのは平気ではないし、今でも怖いと感じます。ただ、自分がちゃんと考えて選んだ道だ、という自信があれば、感情は奪われても選択や信念までは奪われません。今も無理なく働けています。いい子を卒業できたその時から、私の人生が始まった気がします。今、私は人生がとても楽しいです。

 もし、誰かに人生の舵を預けているような気がするのなら、好奇心の芽を育て、自分の心に耳を傾け、少しずつ少しずつ、歩き出してみませんか?