自分のまま生きるのが難しい世界で頑張るあなたへ贈る手紙

少し、付き合ってほしい話があるんですが、よろしいですか?

ああ、そんな怪訝な顔をしないでください。長くはなりませんから。

私が友人へ送る手紙を、少しだけ一緒に読んでほしいのです。大きな声じゃ言えませんが、私は文章がとくいではないものですから、もしかしたら、支離滅裂で荒唐無稽な内容に仕上がってしまっているかもしれません。だから、いっしょに読んでもらいたいのです。

遠い土地で戦い続けている、かつて勇者だった友達に送る言葉を。

かつて主人公だった、親愛なるあなたへ

木の枝を装備して、同い年の仲間たちと夏の夕暮れを駆け回っていたあなたは、あのとき、まさしく勇者でした。あなたの目に映るものはすべてがみずみずしく、美しく、刺激的でした。あなたの戦場は、田んぼのあぜ道でも学校でもなく、会社になったようですね。いえ、広く「この社会」と呼ぶべきでしょうか。

あなたはあの頃と変わらず、頑張り屋さんみたいです。聞いた話によれば、毎朝ちゃんと起きて会社に行って、残業をこなして、苦し紛れに同僚や旧友と酒を飲んで、ギリギリの自我を保って、身体が限界を迎える休日は泥のように眠って、また朝が来たら会社へ行く。そんな日々を過ごしているそうですね。身体がボロボロになるまで冒険をし続けた、あの頃のあなたの姿が脳裏に浮かぶようです。

けれど、もうあなたは笑わなくなったのですね。あの頃のように、あどけない笑顔を浮かべて、自分のことを話して、相手のことを話して、心底楽しそうに笑い転げるあなたの表情を、声を、温度を、私は感じることができないのですね。

あなたの心は、そんな余裕が持てないほどにぎゅうぎゅうに締め上げられて、苦しそうに息をするので精一杯になっている。それに気づかず、いえ、気づいていながら、あなたは尚も奮い立とうと躍起になって、果敢に進もうとしている。心を生贄にして、あなたは何かを欲しがっているのですね。

私にはわかりません。あなたの心を犠牲にしてまで欲しているものが何なのか。

私にはわかりません。何より尊いあなたの心が、この世のどれかと等価で交換できるとは思えないから。

私にはわかりません。あなたが求めている「いつかきっと」や「成功したら」が本当に訪れるのか。

私には、わからないのです。あなたがどうしてそこまで自分を傷つけようとするのかが。あなたは生まれ落ちたその日から勇者で、主人公でした。これまでの冒険の数々をすべて忘れてしまったかのように振舞っても、私の眼は誤魔化せないのです。あなたはいつだって勇者で、主人公で、道なき道を切り拓く勇気を持っているのです。

けれど、社会は、会社は、過酷な場所のようです。あなたの勇者としての矜持を奪い去り、主人公としての自覚や記憶を消し飛ばし、心なき兵士へと変えてしまう場所のようです。流石のあなたでも、抗うことに精一杯なのでしょう。いえ、恥ずべきことではありません。むしろ、今この瞬間まであなたが自我を持ったまま生きていることに脱帽しています。

でも、もうそれ以上進めば、あの頃のあなたは本当に死んでしまうのでしょう。遠い記憶の彼方で、望郷の念と共に思い出されるあなただけが、私にとってのあなただった。そのあなたに、もう会うことができなくなる。そんな恐ろしい予感が、私に筆を執らせました。

心の底から楽しいと思えることは、そう多くなかったでしょう。それなりの日々が、それなりの緩急をつけながら進んでいく。ギリギリ、あなたが壊れてしまわない程度の刺激とお金を与えながら、日々は彼方へと過ぎ去っていく。大きな喪失もない代わりに、大きな獲得もない。気が付いたらここまで走り抜けていた、そんな毎日。

どうでしょう、少し立ち止まってみるというのは。あぁ、あぁ、現実的に難しいことは分かっています。無理に、今すぐにとは言わないので、そういう選択肢もあるんだ、って心の片隅にでも留めておいていただきたいんです。

あなたは……いいえ、私たちはかつて自分の欲望や幸福のために生きていました。輝いていたんです。体力も気力も、自分の欲望や幸福のためだけにすべて使っていたんです。くたくたになるまで遊んで、学んで、楽しんで、悲しんで、全身全霊で生きていたんです。そしてその中には、あなたのように「周りの欲望や幸福」まで見越して行動できる人もいましたね。そういう人は多くの人間からなにかを「望まれる」のです。まさしく「人望」というヤツですか。

人の望みを背負いこんだあなたは、それでも楽しそうでした。イキイキしていて、全力で応えようとしていて。そんなあなただから、私たちはあなたが好きでした。紛れもなく勇者で、主人公だった、あなたのことを。

今、あなたは誰に何を望まれていますか?
それは応えたい望みですか?

もし一つだけ願いが叶うのだとしたら、私は、あなたに奮い立ってほしい。
無理に追い込んで先へ進めという意味ではありません。

あの頃のように、勇者として。主人公として。まずは、あなたが、あなた自身の欲望や幸福のために全身全霊で生きて。もし、人々の望みを背負ったときには腕まくりをして飛び込んでいって。いつしか、あなたの周りには愛すべき人があふれていて。

そうやって、あなたはこの世界で本当の勇者に、主人公になっていく。
私は今でも、そんな物語を空想してしまうのです。

これはただの独り言のようなものですが、たった一つ、私の「望み」を、そのくたびれきった肩に載せておいてはもらえませんか?

そう重いものではないでしょう。気負わず、気楽にやってくれたらいいんです。あの頃みたいに、テキトーなノリでいいじゃないですか。真面目な顔して、ペコペコ頭を下げて、まるで真人間みたいに生きているあなたは、やっぱり、あなたらしくないなぁと思ってしまうんですよ。

大丈夫。
あなたは強い。
弱いフリはもうやめて、覚悟を決めて。
こうべを垂らさず、腕をまくって、もう一度、目を見開いて。
前を向いて。
ゆっくりでいい、少しずつでいいから、聞かせてほしいんだ。
社会人のあなたの言葉は、もういらない。
勇者のあなたは、主人公のあなたは、ここから、どんな物語を始めたい?

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