こんにちは。cotonohaです。
今回は、漠然と生きづらさを感じているというnanaさんが気持ちを届けてくださいました。
実践していることを含めて、心との向き合い方をお伝えしていきたいと思います。
はじめまして。 何度かこのサイトを閲覧させて頂いています。
正直何から書けば良いのかもよくわかっていません。 考えを整理するのが最近とても難しいので、とっちらかっていると思います。 すみません。 ずっと、漠然と生きづらさを感じています。 何が辛いのか、何が苦しいのか、生きていて悩みが尽きたことがありません。
今は何をしていても満たされないことに苦痛を感じているんだと思います。 毎日やりたい仕事をやって、それなりに認められていて、ずっと出たいと思っていた実家から出ることが出来て最近一人暮らしも始めています。 自分の好きなもので部屋を作って、食べたいものを食べて毎日が充実しているように見えるのに、毎日どこか物足りなくて、寂しいと思っています。 漠然と生きている中で過去のことを思い出しては泣いて喚いて一人で眠って、摂食障害を持っているので日々当たり前にこなさなきゃいけないことが出来ずに自分を責めます。
だけど過去もっともっと辛かったことはたくさんあったんです。 義父に虐待のようなものを受けていた頃、高校の同級生にいじめをされていた頃、専門学校についていけずに辞めた頃、両親の離婚後小さな妹たちとの接し方で悩んでいた頃、バイト先の人と折り合いが合わずにストレスで寝込んだ頃、どれも今の私よりずっとずっと辛いと思っていたはずなんです。 なのでそのどれもから開放された今の私は生きやすいはずなんです。
自殺未遂をしたこともあります。今でもぼんやりとした希死念慮はあります。 だけど「私は何がそんなに辛いの?」「嫌なこと全てから逃げているのに」と思います。恵まれた環境にいるはずなのに悲しいふりをして、症状だって軽くて病気とも呼べないような人間なのに弱い素振りをして誰かから同情でもして欲しいんじゃないか、と自分をいつも責めています。 趣味だってそこそこあるはずなんです。いろんなことを楽しめているはずなんです。 友達もいて今の職場の人間関係も良好で、家族ともいい関係が築けている。
だけど今漠然と辛いなと思ったときに「辛い」と言える人はいません。 この、常に移り変わっていて自分でもよくわかっていない感情を人様に押し付けて悲しい顔をされたくありません。 何から話せば良いのかもよくわかりませんし、過去のことなんて話しても楽しんではもらえません。それならもっと楽しい話がしたいです。 でも話したいと思っている自分も否定はできないんです。誰かに辛かったね、よしよしってされたいんだろうなと思っています。 今年24歳になりましたが、この歳でそんな幼稚なことを思っているのかということにもなんとなく恥を感じていて、誰にも言えません。
最初生きづらいと書きましたが、今後自分がどうしたいのかもよく分かってはいないんです。「幸せになりたい」といつもふわっと思っていても、何をどうした状態が幸せなのかも分かっていません。
本当にまとまりがなくてごめんなさい。過去病院にも通っていたことがありましたが今はもう行っていません。行けません。 なので誰かに今の自分の状態を話してみたいなと思っていたんです。 なぐり書きで申し訳ないです。自分の気持ちを書き込める場所を作っていただいてありがとうございました。
A.今も「辛い」
それでもなお、生き続けてしまうのは、
「過去と今を比べて生きやすくなっているのだから」
コメントを残す