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「不登校になってよかった」と心から思えた僕の話

高校を中退したのは、高校二年生の夏休みのことだった。厳密にいうと、学籍が失われたのは秋ごろだった気もするけど、気分としては、17歳の夏の時点ですでに高校へ通う意思はなくなっていたから、どっちにしたって大差はない。俺はずっと、学校が嫌いで仕方がなかった。何度も何度も、学校へ通う理由を自問した。先生にも親にも聞いたけれど、誰も分からないようだったから、俺が答えを見つけるまで、問い続けた。

今回は、その末にたどり着いた「学校なんて場所に真面目に通わなくて本当によかった」と思う理由を説明したいと思う。今、不登校で悩んでいる中学生や高校生、場合によっては小学生にも向けて書いているので、もし当てはまる人がいたら少しだけ付き合っていってほしい。

学校が社会の縮図だとしたらこの世界は終わっていると思う

もともと、学校という場所とはだいたいウマが合わなかった。小学校の頃はいじめられていたから、平日の朝になるとおなかか頭が急に痛くなった。それでも我慢して学校に行って、理由もなく殴られて、ハブられて、昼休みは一人でベンチに座って、空を眺めていた。流れる雲を美しいと思った。月並みな表現だけれど、自由に形を変えながら揺蕩う雲に憧れていた。

中学になってから、僕は変わろうと決心した。

いじめられるようなナヨナヨした男ではいけない。何か俺と関わることでメリットを与えなければならない。イケメンになって彼女を作りたい。友人と買い食いがしたい。学校のイベントを楽しんでみたい。そんな願望はすべて、小学生のころの自分からすれば夢のまた夢のような話だったけれど、死ぬ気で努力をした。初めてワックスを買った。お菓子以外にお金を使ったのは、初めてだった。

幸い、中学校ではいじめられることはなかったし、友人もそこそこできた。彼女もできたし、キスもした。けれど、まぁ、どうしたって同級生とはウマが合わない。会話のレベルや趣味嗜好、考えていること、家庭環境……挙げていけばキリがないほどに、俺と彼ら彼女らとの間には埋めがたいほどの差があった。どちらが上とか、そういう話ではない。ただ、生き方や考え方という面では、隣の机のあの子や休み時間に駄弁っていたあいつと俺の間には、茫漠とした差が明らかに存在していた。

同級生は、どいつもこいつも自分の人生のことなんて考えようとすらしなかった。自分のカーストが脅かされないことや、目立ったりモテたりすることだけを考えて生きているようだった。

本当に勉強がしたくて勉強をしている奴なんていないし、本当に部活がしたくて部活をしている奴もいなかった。親からの期待だとか、先生からの誉め言葉だとか、威張れるからとか、僕にはここが丁度いいだとか。そういう、自分以外の何かにハンドルを委ねて生きている奴らだったから、彼ら彼女らと俺が話せる話題なんて何一つ持ち合わせていなくて、俺はずっと孤独だった。学校へ行ったって、結局、孤独だった。

従順に言うことを聞く生徒を見て、本当にその生き方がその生徒のためになると信じて偉そうに誉めたり眺めたりする教師も、気持ち悪いと思った。自分の意思を持って行動する生徒を、「輪を乱したから」なんていう空っぽな理由で叱る教師を、気持ち悪いと思った。どこまで盲目的な連中なのだろうと、辟易していた。

こんな場所が社会の縮図なのだとしたら、俺は早々にドロップアウトしたいと、本気で願っていた。

落ちこぼれと呼ばれた日々で手に入れたもの

有言実行とはまさにこのことで、中学生活が2年目に突入したあたりから、僕は中学へまともに通わなくなった。給食の時間にジャージで登校して、同級生に「食い逃げー!」なんていじられながら給食を食べて、部活を楽しんで、友人と買い食いをしながら家に帰るちう自堕落な生活を続けていた。

けれど、誰にも何も言われなかった。勉強だけは平均以上をキープしていたから、文句のつけようがないのだと思った。

このとき俺は14歳だったけれど、10年経った今も当時と変わらず、俺は世の中を舐めくさっている節がある。だって、どれだけ好き勝手に生きていたって、その社会(学校)が存在する大義名分(勉強)さえ人並み以上にクリアしていれば、誰も何も言えなくなってしまうのだから。敷いているルールや集団の空気感なんてものはとてもちっぽけで、本質からはほど遠い幻影なのだと理解した。

だから、どんな環境に行ったって、その社会が何を大義名分として掲げて存在しているのかを理解するところから、始めてみよう。学校なら勉強、会社なら利益。その本懐を捉えたうえで、本懐を達成するために必要なことだけを考えてみるといい。

例えば、中学校へ通わなくたって勉強はできる。不登校だって、内申に頼らず、テストを受けてある程度の成績を確定させてしまえば、内申が悪くなることはない。推薦は狙えないけど、高校入試で合格点さえ取ってしまえば、中学で3年間も授業を受ける必要はない。YouTubeを観ながら部屋でダラダラしたり、気が向いたときに勉強したりすればいい。

妬みやひがみはあるかもしれないけれど、そんなものに気を取られる必要なんてない。

実際に、そうやって俺の自堕落な生活は中学卒業まで続いた。それでも、まっとうに中学校へ通っていた同級生が落ちまくる高校に受かっていた。

唖然としたことを覚えている。合格発表の日に高校へ行くと、落ちた同級生と顔を合わせた。ひどく落胆していたその子は、俺のことを見下していた生徒で、中学で俺のことを落ちこぼれだのなんだのと揶揄してきていた子だった。目を合わせず去っていく姿を見て、俺は無性に悲しくなっていた。

ひどく惨い結論だった。自分の頭で「何が必要なのか」を考えられない人間はどれだけ真面目なフリをしても無駄なのだということ。一見するとサボっているのは俺の方で、まともに学校に通っている同級生のほうがまっとうに見えるけれど、こうして結果を見てみるとその正反対のことが起きてしまうということ。

だから、周りがどう言おうと、親や教師が何を「正義」に置いていようと、アテにしてはならない。簡単に裏切られてしまう。

何かを辞めたり、始めたり、進んだり、戻ったりしようと思うのならば、あなたが感じる「正しい」を、あなたが見据える「未来」を信じて、必要なことは何なのかを考え抜いて、実行するべきだ。学校へ行くことが苦痛なのだとしたら、そんな無駄な労力は払わなくていい。無理をして学校へ行ったのに受験で落ちてしまったりしたら、本末転倒だ。

あなたの悩みは学校へ行けないことなんかじゃない

不登校は何かとネガティブに捉えられがちだけれど、学校へ行かないことそれ自体がネガティブなことではないはずだ。もっとその奥には、複雑に絡まった悲しい理由があるはずだ。誰にも理解されない、自己嫌悪にもつながる原因があるはずだ。

だから、もし思い悩むのならば、その原因について悩んでみよう。親かもしれない、クラスメイトかもしれない、勉強かもしれないし部活かもしれない。恋愛かもしれない、将来かもしれない。素直に楽しく学校へ行けない理由が、あなただけのちゃんとした理由がある。だから、安易に「自分が弱いからダメなんだ」とか「暗いからだめなんだ」とか、分かりやすい名前を付けて逃げないでほしいと思う。

不登校は逃げじゃない。悪いことでもない。これは一つの考え方で、誰かにとっては許しのようなものかもしれないし、今現に不登校になっている人にとっては、「別に悩む必要なくない?」って言われてるようなものだから、不登校で悩む「逃げ」を許さない呪いのようなものかもしれない。だけど、俺はそれをあなたに伝えなければならないのだ。あなたが一人にならないように、不安に打ち負かされてしまわぬように。

まず、何も考えず学校へ通う大勢の人間よりも、自分の意志で学校へ通うことを拒否したあなたは誇り高い人間だ。誇りこそすれ、断じて卑下するようなものではない。

だけど、その上で、今度は「それじゃあ、どう生きていくか」という命題に立ち向かわなくてはならなくなった。とてつもなく、強大な敵だ。

多くの人がその敵の前に跪き、無自覚のうちに首を垂れて、無感情で生きようとする。何も考えず学校へ通う連中がそれだ。学校は心を守ってはくれないけれど、身体が滅びないように、死なないように、心を殺して生きぬくための生き方を教えてくれる。心は犠牲になるけれど身体は死なないように、将来のレールを作り出してくれる。無感情でそれなりの幸せを手に入れながら生きることを可能にしてくれる。もう変わり果ててしまったそれは、自分とは呼べない代物だろうけれど。

あなたは、心を殺すことを拒んだ人間なのだと思う。どうか、そのままで。

心を殺さず、身体も生かす。つまり、あなたがあなたのまま生きていくために、どうすればいいのかを考えなければならない。不登校になったあなたが、不登校になったあなたのまま生きていくためには、何が必要なのか、考え抜かねばならない。

俺がさっき伝えたことはここにつながる。つまり、どれだけ好き勝手に生きていたって、その社会(学校)が存在する大義名分(勉強)さえ人並み以上にクリアしていれば、誰も何も言えなくなってしまうということだ。

あなたはこの先も好き勝手に生きていい。今さら無理に真面目になろうとしなくていい。だけど、あなたは知らなければならない。学校を拒んだあなたに待っているのは、この社会という仕組みそのものだ。縮図ではない、本物の社会が、あなたを待っている。

だから、社会を知り、自分を知り、自分の望みを知り、社会の大義名分を知る必要がある。その上で、何が必要なのかを考えて、生き方を決定づけていく作業が重要になるのだ。

社会を知るのに最も適している環境は、学校やバイト先、会社といった組織なのだけれど、学校を拒んだ俺やあなたには、バイト先や会社といった選択肢が残されている。だから、まずはそれから初めてみてはどうだろうか。少しずつ経験値を貯めて、自分の生き方を模索していく。少しワクワクしてこない?

あなたが何に苦しんでいるのか、画面の向こうにいる俺にはわからない。だから、もしどうしても苦しくて、何が辛いのかも分からなくなってしまったのなら、cotonohaへ相談してほしい。

あなたの心と身体が、健やかに生き抜けることを、遠くから心より祈っている。

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