心が休まるはずの「家」という場所が、地獄に思える―。家庭内で精神的・身体的DVを受けている(or見ている)方は、そんな苦しみを抱える。こうした状況下ではSOSの声を上げることが大切だが、年齢や金銭面などを考慮すると、それが難しいこともある。
だったら、どうやって自分の心身を守ればいいのか―。今回は、実際に家庭の中で身体的DVを目にし、受けた経験もある小野澤と、精神的DVを体験した古川が当時を振り返り、心身を守る方法を考えてみた。
目次
【小野澤のケース】人生で最も苦しい5年間
私の父親は、お酒を飲むと暴力と暴言を振るう典型的なDV気質。私が生まれたときから、父親は「そういう人」だった。
お酒を飲まなければ気さくな中年男性なのに、お酒を飲むと豹変。幸か不幸か、父親の標的になっていたのは母親と兄だけで、暴言はともかく、私に対して暴力が振るわれたことは数えるほどしかない。幼少期の私は、二人が痛めつけられている姿を眺めることしかできなかった。
私は5歳まで、母親と兄とともに父親の家で生活していた。まだ水洗トイレも整備されていない寂れた山村…。友人もいない環境で育った私にとっての「世界」とは、山小屋のような小さなボロ屋、その中で繰り広げられる狂った日常のことだった。
毎日毎日、大声で喚きながら母の首を締める父親の姿を見ても、私は違和感を覚えなかった。ただ、そういう生き物なのだと、どこか他人事のように父親を観察していた。
当時の私は、「大人の男性」はおしなべて父親のように暴力性を隠していて、平気で誰かを殺そうとできる存在だと本気で思っていたのです。今もそのトラウマは消えず、生活に支障を来すことも少なくありません。
子供がDVから逃れるためにできることは多くない
アルコール依存症やDVという言葉も知らない子供の目に映る暴力的な父親の姿は、恐ろしいもの。さっきまで楽しく話をしていたのに、急に立ち上がって母親の顔を万力で殴りつけている存在を、どう定義すればいいのか分からなかった。
当時、私の頭の中を占めていたのは殺されたくないという生存本能と、母親や兄を守りたいという願いだけ。しかし、5歳にも満たない私にできることは何もなく、自分の身を守ることすらままならない。だから、私は父親に気に入られようと、狂った努力を始めた。
夕方、帰宅する父親の車の音が聞こえると見ていたアニメを消して、もうとっくに書き終わったひらがなのドリルを開いて、勉強を始めた。元気よく父親に「おかえりなさい」と言い、父親が喜ぶ報告をして、父親が見たいテレビを一緒に見ながら意味もわからないのに同じタイミングで笑い、なるべく父親を上機嫌にさせるよう努めた。
しかし、その程度の努力では何も変わらず、夜が深まれば母親へお酒を要求し、酔った父親はいつものように母親を痛めつけたのだ。
初めて「世界」と触れ合った日
何の変哲もないある朝、布団から起きて居間へ行くと、部屋が妙にスッキリしていた。忙しそうに、どこか軽やかに動く母親に「おはよう」と挨拶をすると、母親は少し張り詰めた様子で「おはよう」と返してくれた。続けて「家を出るから、支度してね」と、朝ごはんのメニューを告げるような口調で言った。
5歳の私に必要な支度などなかった。愛用していたプーさんのリュックだけを手に、母親の車に乗り込む。遠のいていくトタン屋根のボロ屋を背に、私は驚くほどあっさりと5年間続いた悪夢から脱出できた。
その後は初めて見る「街」に感動しながら、別の市で新たな生活をスタートさせた。これまでの5年間は何だったのか、失った時間や感情を返してくれと叫びたくなるほどに、世界は刺激的だった。
DV被害を受けている子供ができることってなんだろう?
DVは、元来かなり根深い問題だ。私の父親のケースで言えば、父親も幼少期に両親を亡くし、必死に生きる中で表に出てきてしまった弱さが、家庭内での暴力や暴言に繋がっていた。母親にも同様に弱さやトラウマが存在し、それらが引かれ合って生じたのが、私への心理的虐待だった。
DVへの対応が難しいと言われるのは「加害者すら被害者である」ことが多いため。被害者を保護するだけでなく、加害者の精神的、経済的な問題を解消しなければ根本的な改善にはつながらないので、対応には長い時間がかかる。
また、家庭に第三者が介入していかないと解決への糸口が見つからないため、家族みんなが問題を解決しようという姿勢を持ち、行政機関へ相談し、根気よく向き合っていかなければならない。
しかし、そんなことは周囲の人間や支援する側の客観的な意見だと思う。DV被害に遭っていた当時の私であれば「何でもいいから早く助けてくれ」「何もできないのなら(悪化するから)口を出さないでくれ」と叫んだだろう。
だから、まずは逃げて欲しい。一時的な避難ではなく、後を追えないように、ちゃんと逃げ出して欲しい。日本では年間7万件を超えるDV被害が報告されているが、ちゃんとDVから逃げるための術も用意されている。怖がらなくて大丈夫、あなたのために、世界はちゃんと開いていると伝えたい。
【古川のケース】モラハラな父親の罵声を浴び続けて…
酒に溺れた父が、家族を怒鳴りつける。それが我が家の普通だった。数字前には口に出しても平気だった言葉が導火線になることもあるため、どんな言葉が父親の怒りのもとになるのかが分からず、自分の意見が言えない。
家族で食事を囲む時間は、一番苦痛だった。数日前には笑っていたちょっとした冗談に突然、激怒したり、料理の時間が少しでも遅くなるだけで機嫌が悪くなったりすると食卓は罵声を聞きながらご飯を食べなければならない。ひとりで食べると余計に暴言がひどくなるので、耐えるしかない。
独自のルールを覚えるのにも苦労した。
・リビングに置いてあるゴミ箱にはゴミを捨ててはいけない
・夜になったらトイレの中の扉を締めなければいけない
・キッチンのシンクは水滴ひとつない状態にしておく
・夜遅くの電話はNG
・長時間のトイレに激怒
…など、意味が分からないルールを守れないと「世間に笑われる」「お前は馬鹿か」「俺が躾けてやってる」「親に感謝する時がくる」と説教される。
自分のミスには寛大で、人の失敗は厳しくなじる父は電気の消し忘れに激怒することが多く、母がうっかりお皿を割ってしまうと何時間もなじった。
一人暮らしも許されなかったため、「逃げる」という選択肢も塞がれた。
小さなミスさえも許されない…。そう思うと、自分の言動に自分自身が厳しい目を向けてしまうようになり、何をするにも自信が持てなくなった。機嫌が悪くならないよう、父親に媚びを売り、気を使った。人の顔色に敏感なのには、こうした背景がある。
言葉をシャットダウンして入り込めない場所へ
そんな逃げられない環境の中で、心を守るために私がしていたのは、できる限り「言葉をシャットダウンすること」と「家族が入り込めない居場所を作ること」。食事の時間が一番苦痛だったので、イヤホンをしてご飯を食べた。今なら、ワイヤレスイヤホンなら髪の長い方は、していることに気づかれにくいと思う。
自分を攻撃する言葉を聞く日を減らすこと。これは、なけなしの自尊心をゼロにしないために大切なことだと思う。毎回は難しくても、どうか、できる限り暴言や蔑みをシャットダウンしてみてほしい。
そして、当時の私はメル友やmixiを家族が入り込めない場所にしていた。日記さえも、盗み見られる状況だったので、ネットの中に自分の想いを自由に吐き出せる場所や相手を作った。ひとりで抱え込みすぎないよう、誰かや何かに心の拠り所を求めることは自分にとって効果的だった。
私は距離感が近くなりすぎると、すべての関係を絶ちたい・壊したいと思ってしまうので、居場所とする人や場所は複数作るようにした。特定のたったひとつのものに依存しすぎてしまうと、さらに心が苦しくなってしまうこともあるから、拠り所はたくさん見つけてみてほしい。
当時の自分はなかなか思えなかったけれど、もし今、同じような状況で苦しんでいる人がいるとしたら、 「私はダメな人間じゃない」と1日1回でもいいから思ってほしい。精神的虐待を受けると、自分がとても価値のない存在に思えてしまうものだけれど、あなたの価値はあなたを蔑む誰かが決めるものじゃない。生きる権利などいらないと思うほど絶望することもあると思うけれど、生きていてほしいと思う。
DVから逃げるために
DVから逃げるためには公営団地やDVシェルター、児童養護施設といった住居・一時避難所を活用することを勧めたい。まずは自分の命や心を脅かすその環境から距離を置いて、安全を確保してほしいと願う。
公営団地やシェルター、児童養護施設といった避難場所の手配は行政が請け負っている。スマホがあれば「DV相談プラス」から居場所の確保やその後の支援策について詳しい話を進められるので、まずは相談してみてほしい。
ただし、シェルターに入居できる人数は決まっているため、より緊急度の高い方から入居が許可される。場合によっては、シェルターへの入居が許可されないこともあるかもしれない。
そうした場合は、民間でセーフティネットを展開している法人、団体へ相談してみてほしい。資金や頼る先がない中で住居を確保する場合には、シェアハウスという選択肢もある。通常の賃貸契約ができない場合もシェアハウスであれば入居しやすく、頼れる大人や友人が多く見つけられるので、安心して暮らせやすいと思う。
もし興味がある方は、私が運営している福岡のシェアハウス「またたび」にも相談してほしい。
身体的DV、精神的DVのどちらも許されるべきものではないが、受けていると自分を責めてしまいやすい。その苦しみを、どうかひとりで抱え込まず、誰かに共有してほしい。SOSの声をいきなりあげるのは難しいものだから、まずはネット上の人でもいいから話してみてほしい。もちろん、当メディアにも聞かせてほしい。
耐え切れない恐怖から逃れる道を、一緒に考えよう。
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