私は中学生の頃から小説を書いている。小説と言っても、人に得意げに自慢できるようなものではない。
生活の中で感じる不条理や世界の理に関する違和感を自分なりの角度で切り取って、自分の都合の良いように書き換えるために文章を使った、ただそれだけの行動だった。そうして書き散らした小説を誰かに読まれることは、本棚を見られるよりも恥ずかしいし、寝顔を見られるよりもむず痒い。それでも、誰かに読んでほしいという気持ちは日々強まっていき、高校生になったある日、「小説家になろう」という国内最大手の小説投稿サイトに短編をいくつか掲載した。
無名なアマチュアの駄文を読む人などいないだろう、感想なんて来ないだろう、と期待しないように気をつける生活が始まった。それでも、鬱屈した日々の中には小説のネタになるような事柄が溢れていた。未熟な人間性を「教育」という大義名分のもと生徒へぶつける教師、生活保護費の半分近くを酒やタバコに注ぎ込む母親から投げられる「お前のシャワー代がもったいない」という暴論。
子供は強いられた環境や生活からは逃げられない。私は深海から呼吸のために海上へ姿を表すクジラのように、深夜になると小説を書いた。この生活から一瞬でも逃げたくて、一心不乱に小説を書き殴っては投稿を続けた。
ある日、サイトのマイページに見慣れない通知が届いているのを見つけた。はやる気持ちを抑えながらリンクをクリックすると、小説に初めての感想が書き込まれていた。「この小説を書いてくれてよかった」という旨が長文で記された、丁寧な感想文。じっくりと読み込むと、次第に言語が脳で紐解かれていく。言語を通して投げかけられた読者の想いが、私の心へじんわりと染み渡っていった。
これか、と衝撃を受けた。十数年生きてきて初めて覚えたこの感情を、充足を、幸せと呼ぶのかもしれない。そう思った。「この世界に違和感を覚えているのは私だけではない」という安心感もあった。「自分の文章が認められた」という承認欲求の充実もあった。でも、何よりも、丸裸でぶつけた想いに共感する人間が、この世界に一人でもいたことが、何より嬉しかった。
その日から、私はもう一つの世界を、生活を頭の中に構築していった。事象や世界の切り取り方を、あえてずらしてみることにした。そうして得た新たな発見を物語へと昇華して、拙い文章で精一杯に伝えることにした。
世界は、生活は、きっと何も変わってなどいなかった。学校に行けば、未熟な人間性を「教育」という大義名分のもと生徒へぶつける教師が私を目の敵にしていたし、家に帰れば生活保護費の半分近くを酒やタバコに注ぎ込む母親が、相変わらず酔っ払って私へ罵声を投げ続けた。
だけど、それに屈さず生きてこられたのは、私がその世界で呼吸をしていなかったからだと思うのだ。この世界に生きていながら、鬱屈した生活を送っていながら、私の目は、この世界や生活を見ていなかった。悲劇の狭間に垣間見える世界の法則や、悪夢のような毎日の中で時折こちらを覗く幸せの可能性だけを、私は祈るように睨み続けていた。
そうして、深夜になると小説のなかでそれらを具現化していた。小さな幸福の可能性に祈るように、願うように、異なる世界を描き続けた。私に絶望はなかった。それはきっと、自分の中に物語を携えて戦い続けていたからなのだろう。
今、この世界に絶望している全ての人に「物語を携える」という対抗策をおすすめしたい。自分の中の物語は、きっと、今も、この先も、あなたの人生を少しだけ照らしてくれる光になると思うから。
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