「抜毛症」は、抜毛癖や禿頭病とも呼ばれる精神障害の一種。美容以外の目的で、体毛を抜いてしまう病気だ。最近ではメディアで取り上げられることも増え、知名度が高くなりつつあるが、詳しい原因は解明されておらず、効果的な治療法もないため、どこの病院へ行けば良いのかが不明確。
だからこそ、抜毛症の裏にある“自分なりの原因”を知り、どうやってうまく付き合っていくのかを考えることが大切。今回は今もなお、抜毛症と闘っている当メディアのメンバー2人が経験談と「私なりの解決法」を紹介。少しでも、心のお守りになれば嬉しい。
目次
私の経験談~古川の場合~
見ていた側から「抜く側」へ
無機質なゴミ袋の中が、みるみるうちに髪の毛で満たされていく―。小学1年生の私は、その光景を“見る側”だった。中学生の姉が髪の毛を抜く光景が不思議。これをマネてみよう。きっかけはそんな些細な好奇心だった。
癖毛だった私は、自分の髪にコンプレックスがあった。今までサラサラだった長い髪が小学校入学後にくせっ毛になったことで、自分の容姿がさらに嫌になった。だから、「髪を抜く」という行動をすることで、自分の髪を罰しようと思った。
小学校中学年の頃になると、縮れがひどい髪を見つけるたびに嬉しくなって、少しでも曲がった髪はすべて取っ払おうとした。いつしか抜毛は自分自身を罰するものに変わっていったのだ。
中学2年生になると、抜毛の頻度が増えた。班の中でいじめの対象になった私はからかわれる日々を送っていたからだ。いじめの原因は、前髪を作っていなかったこと。「あなたの前髪ありますか」みたいな歌詞の替え歌を作られ、笑いながら歌われる日々を送った。
自分が配膳した給食が誰にも手を付けてもらえなくなり、ばい菌みたいだなと感じた。そのうちに、頭が痛くなって学校に行けなくなった。すると、班のメンバーは「50円かけてるから、明日は学校に来てね」と電話をかけてくる。地獄だった、すべて。
そんな時に髪を抜くと、ほっとした。抜くと心がスッキリする。例えるなら、リスカをした後の妙な爽快感みたいなものと同じだった。毛根がしっかりした髪を抜けると嬉しくなり、していない毛だと自己嫌悪…。
よく分からない中毒性から抜け出せなくなり、いつまでも抜き続けてしまう。自然と頭に、髪に手が伸びてしまう。ふと気づくと、ゴミ箱の中が髪の毛だらけ。それを見て、「またやっちゃったのか」と嫌悪する。
このルーティーンは30歳になった今でも健在。今も私は、髪を抜かないと生きていけない日がある。
割り切れない思いを割り切るために…
髪の毛を結ぶ。ゴム手袋をはめる。頭に手がいかないようにする。抜毛症にはそんな対処法が挙げられているが、私にはどれも効果がなかった。抑圧されればされるほど、「抜きたい」という気持ちが強くなる。「抜けない今」が続くとストレスが溜まって、より大量の毛を抜きたくなる。2時間でも3時間でもひたすら抜き続けてしまう。
私の抜毛症には、メンタル的な対処法が必要だ。そう思ったから、今は“髪を綺麗にして自分を褒めてあげよう作戦”を実行し続けている。まず、ヘアオイルにこだわって髪を綺麗な状態に保つ。そうすると、なんとなく抜くのがもったいなく思えて、頻度が少し減ってきた。
そして、お風呂に入った時は必ず自分をいたわるようにしている。足や腕、首、髪など、どのパーツを洗う時にも労わる言葉をかけている。「仕事を頑張った腕を綺麗にしてあげよう。」「たくさん歩いてくれた足を大切にケアしてあげよう。」たとえ心の底から思えてはいなくても。そんな言葉をかけていると、自己肯定感のようなものが少しだけ芽生えてくる。こうした小さな積み重ねをしていたら、1ヶ月髪を抜かなくても生きられたことがあった。それは私の中で、大きな進歩だ。
あと、一番大切にしているのが、抜かざるを得なかった自分を責めないこと。ゴミ箱が髪で埋まってしまっても、眠るよりも抜くほうを優先してしまう自分がいても「そんな日もあるよね。頑張ったんだよね」と声をかけるようにしている。
もちろん、そんな余裕がない日もある。こんな自分が嫌でたまらないこともある。でも、私は治したいと思う。治せたら同じような苦しみの人に小さな希望を与えられるとも思うし、自分のことも少しだけ好きになれそうだから。
正しい付き合い方なんて全然わからない。美容院を心から楽しめるようになるにはまだ時間がかかる。でも、それでも治ると信じている。
私の経験談~新垣の場合~
抜毛の始まりと懺悔
私の抜毛は、記憶にある限りは小学4年生の頃にはすでに始まっていた。
これと言ったきっかけは特になかったように思えるが、幼稚園の時に一度髪を抜いてみて、ひどく怒られたことがあった。その時の事を思い出して抜いてみたのが始まりだったように思う。
最初は毛根が気になって仕方なくて、どうにか引きちぎれないか、という興味本位だった。それがだんだん、やめられなくなっていった。日に日に薄くなっていく髪と、布団に散らばる自分の髪の毛を見るたび恐怖と後悔が募った。完全に禿げてしまうのでないか、そのうち親にばれるんじゃないか、日々恐怖だった。
親もさすがに私の髪がどんどん薄くなるのには気づいていたし、ストレスでそうなっていると信じてくれていたものだから、毎晩神様や亡くなったおじいちゃんに懺悔のように祈りをささげていた。
「髪を抜いてごめんなさい。だれか夢でママに教えてください。怒られませんように。ごめんなさい。やめられなくて、ごめんなさい」
頭髪が見るに堪えなくなったころ、父親がウィッグの提案をしてくれて、小学5年生の頃から高校2年の秋までウィッグでの生活をしていた。ウィッグはとても傷みやすいのでプールなどに入ることができず、ずっと見学していた。一番惨めな思いをしていたのはその時だったように思う。
私はもともと泳ぐのが好きで、それが自分のせいでできないことが本当に悔しくて、泣いたこともあった。それでも髪を抜くのはやめられなくて、にっちもさっちもいかなくなってそれでまた抜いてしまう、悪循環だった。
一度はやめられたはずなのに
高校二年の春、もともとはその時期に海外に修学旅行で行く予定だったのが世界情勢の事情で秋に延期された。その時に、「ウィッグではなく地毛で参加したい」と目標を立て、4月から11月までの7か月間完全に抜毛を辞められた時期があった。
その時期は常に腕に輪ゴムをひっかけて、髪を抜きそうになったら輪ゴムをはじいて腕に刺激を与え、抜毛の代わりにした。その時期もストレスは大分あったはずだったが、仲のいい友人ができたことなどで比較的平穏を保っていられたから成功したのだと思う。
修学旅行は再び春に延期されたが、地毛で参加することができた。だから高校2年の秋から大学2年の冬までの3年間は地毛で生活できていた。その間は「せっかくやめれたんだから2度とあんな惨めな思いをするもんか」という気概で、月に一度ほど抜いてしまうことはあっても見た目に影響が出るほど抜くのは抑えられていた。
だが、大学2年のとき、私は鬱の悪化で休学をしていた。どんどん頭に手が伸びる頻度が増えて、ついに封印していたウィッグをまたかぶるようになった。
すごく惨めな気持ちになった。当時の髪の長さよりウィッグの方が微妙に長かったし、そもそも地毛は染髪していたので真っ黒なウィッグを被り出した私はいきなり髪型が変わったように見えたことだろう。そのことについて特段言及してこなかった当時の友人たちにはとても感謝している。
おしゃれは自由だ!
今現在も私はウィッグで生活している。でも今はそんなに惨めは思いでは被っていない。
きっかけは、ウィッグをブリーチしてインナーカラーを青色に染めたことだった。地毛じゃないとできないと思い込んでいた髪のおしゃれが、案外ウィッグでもできることに気付いてから、「ウィッグを被らないといけないということは、逆に言うといろんな髪の長さや色のウィッグを被れば気軽に遊べるのでは」ということに思い至ったのだ。
それでも髪を抜いてしまうことはやはり虚しい気持ちになる。できることなら地毛で過ごしていたいし、月に1週間ほど一気に髪を抜いてしまう期間が訪れると布団や床が髪の毛だらけになるのを惨めに思いながら掃除している。そういう時は何か嫌なことがあったのがきっかけなので、余計にしんどくなる。
鏡で地毛の状態をチェックするのもいい気分ではない。それでも今私がそこまで抜毛していることを後ろ向きにとらえていないのは──それこそ、こうして記事でカミングアウトしてしまえるほど受け入れられているのは、「ウィッグ選び放題って利点じゃん!」ということに気付いたからだと思う。
ロングヘアーもショートヘアーも気分で変えられる、好きな自分になれる。それは素敵なことだと思うから、必要以上に後ろ向きに考えなくてもいいんじゃないかと思えるようになったのだ。
抜毛症のあなたへ
「辞めたい」と「辞められない」の狭間で苦しい状況が一番辛いと思います。だからこそ、抜くという行為に罪悪感を持たないでほしい。抜かざるを得ないほど、あなたは頑張っている。その事実をまずは受け止め、自分をねぎらってあげる時間を増やしてみてほしい。心の在り方はすぐには変えられない。でも、誰かとの出会いや目や耳にした言葉によって少しずつ変化していくことはあると思う。そう言った意味でも私たちの体験談が、なにかの支えになれば嬉しいです。 古川
とてもしんどい思いをしていると思います。どうしてもやめられなくなる、それは傷みで脳内麻薬が出てストレスを一時的に緩和されてしまうからで、決してあなたの意志が弱いからじゃない。そして、なかなかやめられなくても、いつか私のようにプラスにとらえることができるような日が来ることを祈っています。私の体験談がその一助になれば、尚のこと嬉しいです。
私のように輪ゴムパッチンで緩和できる例もあります。そのことも頭の片隅に置いていただけたらと思います。 新垣氷魚から愛をこめて
抜毛症はひとりで抱えてしまいやすい病気だからこそ、カウンセリングなどを利用し、解決法を模索するのもひとつの手。それが難しい場合は誰にも言えないその気持ちを、cotonohaにも漏らしてほしい。
言いにくい病気だからこそ、共に解決法を考え、乗り越えたい。明日のあなたが今日よりも笑える道を一緒に探していきたいと思う。
50代のおばさんです。
私は小学校低学年から抜毛したあげくに口に入れて噛む、さらに爪を噛むという癖がありました。
今思えば親が忙しすぎたことと、学校でのいじめのストレスだったのかなと。
自分は異常なのではとずいぶん悩み、誰にも相談したことはありませんでした。
口に入れて食べちゃうって本当に気持ち悪いですよね。
実はつい最近、3年前まで続いていたのです。
治ったきっかけは歯並びが変わったための矯正です。
爪も髪も噛むことができなくなりました。
矯正が2年続くといつのまにか抜毛癖もなくなりました。
あちこち地肌が透けていたのですが、随分毛量が増えました。
長年抜き続けた両耳のまわりだけはなかなか生えて来ないのですが…(笑)
この年になって、少しヘアスタイルやマニキュアを楽しむことができるようになりました。
もし、同じような悩みがある方のヒントになれば、と投稿させていただきました。
抜かざるを得ないほど、あなたは頑張っている。という言葉に救われました。
ありがとうございます。
克服できるかわかりませんが、自分を受け止めていきたいと思います。
人生50年の大部分を抜毛症と生きてきました。日々小さな楽しいこと嬉しいことがあっても、根本的に孤独地獄だなあと思います。隠して、バレてて、気を付けて、張り詰めて…。10歳~20歳過ぎまではウィッグを使うのは負けのような気がして、使う決心がつくまで15年かかりました。主に男子からの忌避はひどく、いわゆる普通の女子が楽しんだり経験したりすることもなく、逆にいらぬ苦労をしました。両思いの恋愛や結婚もないまま、おそらく家族やパートナーを作れず人生が終わるのだと思います。体験や思い出が極端に少なく、本当に寂しい人生です。よりによって生きる負荷が髪の毛に現れるなんて。でも、抜かなければ生きてこられなかった。抜きながら、人間社会の中でとにかく頑張って来たのは事実です。
コラムを書いてくださって、本当にありがとうございます。
人生50年の大部分を抜毛症と生きてきました。日々小さな楽しいこと嬉しいことがあっても、根本的に孤独地獄だなあと思います。隠して、バレてて、気を付けて、張り詰めて…。10歳~20歳過ぎまではウィッグを使うのは負けのような気がして、使う決心がつ来ませんでした。その間、無残な頭を晒していたために、男子たちを始め各方面からの忌避があり、いわゆる普通の女子が楽しんだり体験したりすることは経験せず、逆にいらぬ苦労をしました。両思いの恋愛や結婚もないまま、おそらく家族やパートナーを作れず人生が終わるのだと思います。体験や思い出が極端に少なく、寂しい人生です。生きる負荷が現れるのが髪の毛でなければよかったのに。でも、抜かなければ生きてこられなかった。抜きながら、人間社会の中でとにかく頑張って生き延びて来たのは事実です。
コラムを書いてくださって、本当にありがとうございます。抜毛症の方たちと支え合いたいです。私よりうんと若いひとに対しては、髪が生えてくるうちに症状がおさまるようにと、いつも思っています。