「産めない人生」の先に答えをみつけようとしなくてもいい

大人だって夏休みは悲しい


夏休み。スーパーで仲よさそうな親子を見るたびに感じてきた悲しみがある。子どもが産めない自分は、あの光景を当事者として一生見ることができないんだなと。

先天性心疾患のため、子どもが産めない。自分が生きているのがやっとなのに、誰かの命を育もうなんて恐れ多い。そんなことは分かっている。でも、夏休みのような長期連休に仲睦まじい親子連れを見ると心が苦しくなる。

なぜ、あの幸せを自分は体感できないのか。
「ごく普通の家庭」を築いてあげられなくてごめんなさい。
そう思い、子宮の意味を考える。毎月、生理がくるたびに、この血が流れている意味は何かと悩む。

子どもを持たない人生もある。夫婦ふたりで、あるいは独身のまま人生を謳歌していけばいいじゃないか。そう思える日もあるけれど、24時間366日強くいられるわけじゃない。深夜1時。裸のままの心が泣く。「どうして私だけ…」と。

そんな苦しみを上手く処理できる方法が見つからないまま、とりあえず笑う。笑っていれば楽しくなる気がして。人生が好転しそうな気がして。

でも、本当は思ってる。このささくれた心を、どうにかしたいのにって。

答えが見つからないまま歩いてもいい


「産めない人生を楽しもう」

その言葉は私たちを支えることもあるけれど、プレッシャーになることもある。どう楽しめばいいのか分からない日や気持ちがどうしても折れてしまう時は、「楽しめない自分」が苦しくなる。

子どもがいない分、何か他のことに注力しないと。そう思って、自分を追い込んでしまうことだってあると思う。実際、私がそうだった。産めない分、他の何かをかすがいにしようとひとりで力んでは、代わりになるものなんてないのかもしれないと落ち込んでいた。

自分が苦しいと思っている事実を前向きにとらえる。その思考法を頭の中にインストールすること自体が、苦痛になってしまうことはたしかにある。

だから、共に産めない日々を生きている人たちに伝えたい。楽しもうとしなくてもいい。頑張らなくてもいい。子どもの代わりになるものを見つけようと力まなくてもいい。難しいかもしれないけれど、自分が暮らしやすいと感じる日常をまずは探してみよう。

趣味を謳歌するのもいいし、仕事に打ち込むのもいい。好きなものに囲まれる生活を送るのもいいし、やりたいことにチャレンジしてみるのもいい。まずは「私」を満たしてあげてほしい。

子どもがいてもいなくても産めても産めなくても、私たちは女性であり、価値がある人間。(生物学的に女である人だけでなく、女性と自認している人ももちろん含む)「産めない」の先の答えが見つからないまま、歩いたっていい。

私も産めない女だ。でも、産めないからといって人生のすべてが闇に包まれるわけじゃない。おいしいものを食べ、好きな仕事をし、大切な人と笑い合う時間はほんの一瞬だけど、ちゃんと幸せになれている。

そんなささやかな幸せを人生の中でたくさん増やしていけば、きっと今日より笑いやすい明日を迎えられ、「私の人生」になっていく。

周囲の声は煩わしく、土足で心を汚していくこともある。けれど、そんなあなたの価値は「子ども」というものでは、決して計れない。そのままの、ありのままのあなたを大切に思ってくれる人は必ずいる。

現に、私たちcotonohaメンバーがそうだ。傷や苦しみを抱えてもなお生きて、もがいて、がむしゃらに「人生」しているあなたを尊く思う。

仲睦まじい親子連れを微笑ましく見ることができないのは、あなただけじゃない。大丈夫。私だっておんなじ気持ち。だから、もうそんなに自分を責めなくてもいい。たくさん泣いてきた分、これからは少し力を抜いて、人生の舵を切っていこう。

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