確かに僕は存在していた

僕は、透明人間になったように思えることがある。

僕は解離性同一性障害という精神疾患を持っている。
いわゆる多重人格と呼ばれる障害で、僕はずっとその症状と付き合ってきた。

見覚えのない景色に突然降りたつ。聞き覚えのない名前で呼ばれる。
僕が意識を失って、いつの間にか朝が来て夜が来ている。
そんな非日常な現実が交錯する日常を送っている。

他人はこれを病気や障害といい、僕もこれを病気や障害という。

僕の記憶には連続性がない。
ある日のある時間、プツンと糸が切れたように記憶がなくなる。
それは1時間だったり、2日間だったり、その瞬間によって変わる。
僕が記憶を失くしている間、僕ではない別の人格が時間を使っている。
当初、それは僕にとって恐怖だったけど、ここ数年間で受け入れられるようになった。

それでも、僕が存在する意味を、僕は落としそうになる。

僕がいなくても日常は回り、僕がいなくても世界は回る。
別の人格が過ごす時間は、僕にとっては魅力的だった。
僕が持ち合わせていない才能を使って、絵を描いたりピアノを弾いたり数学をしたり、各々が楽しむ。
彼らは僕よりも遥かに立派で、そして彼らは僕よりも遥かに優れていた。

1日は24時間しかなくて、その中で僕は別の人格と分け合いながら過ごしている。

ずっと、生きている実感が沸かなかった。
僕が残した証拠でさえ、別の人格が残した物に思えた。
ギリギリで踏みとどまっている現実が、何とも馬鹿らしかった。
周りにいる全ての人間を羨み、僕は自分の人生を恨んだ。

それでも、僕は確かに存在していた。

水を飲み、物を食べ、眠り、起き、太陽の光を浴びる。
考えたことを書き、思ったことを言い、そうして印をつけていく。
僕はここに、今ここに、生きているのだと。

透明人間になりそうな僕は、崖に手をかけて宙ぶらりんになったままだ。
手を離してしまえば、すぐに暗闇に落っこちてしまうだろう。
だからこそ僕は、透明人間にならないように、今日も証拠を残すのだ。

「僕は、ここにいるよ」と。

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